よしなしごと

学部四年の頃

4年の卒業研究では物理学科で卒業研究をしたいと思い、物理学科の方の研究室配属希望へ出しました。 希望したのは素粒子論研究室、今は広大の学長をやっている牟田さんが教授で、助教授は小平さん(昨年KEKに教授として移られたのですが、つい最近亡くなられました)、助手が大野木さん (現在京都の基研の助教授) と両角さん (現在助教授) というメンバーの研究室です。 学部の頃は多少は勉強できると思いこんでいたので、するからには素粒子理論がやってみたいというあこがれもあって素研を希望しました。 卒論は両角さんの出したテーマで、BCS理論 (超伝導の理論) を勉強してみて何か自分で計算してみる、というものでした。 教育学部の卒論提出は1月の第二週頃だったこともあり、結局卒論はBCS理論を勉強してまとめ相転移の秩序パラメターの温度依存性を数値積分で計算しただけでした。 素粒子論なのになぜ物性理論のBCSかというと、場の量子論の基礎でもありいわゆる四点フェルミ相互作用の大本はBCS理論から来ているからです。

大学院の入試は夏休みにあり、卒業研究と平行して勉強していました。 4年生になってしばらくすると、やはり自分はあまり賢くないということがなんとなく実感し始めましたが、まだ理論をしたいという希望はありました。

他の大学も受けてみようということで、東大院も受けてみたけどかなり悪い成績だったはずで、面接前で落とされました。 広大の院試での第一希望は素研、第二希望はハドロン物理学研究室と書いて出したと思います。 東大の院試でだめだったのに、あきらめが悪いです。

ハドロン物理学研究室 (ハドロン研) は、当時教授の米澤さんと助教授の宮村さんが理論、助手の杉立さんが実験という、他にはない一風変わった研究室でした。 米澤さんは定年間近なので、学生はとらないということだったと思います。 宮村さんは、ハドロン物理全般、格子QCDによるクォークの閉じ込めなどに関する研究を行っていました。 杉立さんは、クォーク・グルーオン・プラズマ探索の実験をやっていました。

ハドロン研を第二希望にしたのは理論希望だったのですが、院試の結果はまぁ悪い出来だったはずです。 最初の面接は第二希望のハドロン研で、何をしたくて希望したのと聞かれて正直に答えたところ、「この成績では理論は無理だよ」と宮村さんに言われてしまいました。 杉立さんに、実験をするならとるようなことを言われたような気がしますが、とりあえず素研の面接を受けた後で考えたいと言ったような気がします。 素研では何を言われたか覚えていませんが、やんわりと君には無理だよと言われたんだろうなぁと思います。 素研の面接の後で、宮村さんがやってきて「どうしても杉立さんがもう一回話を聞きたいと言っているからおいで」というようなことを言われ再度面接を受けてどうにかこうにか院試には合格しました。

卒論はそのまま素研で続けるということですが、実験のこととか知っておいた方がいいだろうということで、ハドロン研で参加してる実験のミーティングの方には出るようにということで出てたと思います。 この実験が、CERNのSPSを使った国際共同実験 NA44 でした。 そして、ハドロン研には自分が一年生の時に「理学部で卒論を書いています」と自己紹介した先輩、江角さんがいました。

杉立さんは、学部3年生の実験のときの課題の一つ電気回路を担当してて、そのときこいつはうちに欲しいなぁというようなことを思ったようです。 この実験では必要な抵抗やコンデンサやIC等を杉立さんにもらいに行かなきゃいけなくて、その時どういう回路を作ってなぜそれでないといけないかを納得させないともらえないということになっていました。 それが学生によっては理不尽に思えるらしく、もらいに行くのをいやがる学生が多い中、僕は好んでもらいに行っていました。 議論をふっかけてそれを通すことが、たぶん面白かったからだと思いますが、ようは生意気な学生だったということです。 それを見た上で取ろうと思うということは、杉立さんは懐が大きいな人だということでしょうか。 博士課程 (後期) の頃になっても、杉立さんとはなんだかんだと言い合ったり(はたからみたら)喧嘩のようなこともしてました。 今にして思えば、杉立さんは偉いなぁと関心します。

卒論の提出前くらいに前から調子の悪かった父が亡くなりました。 母親の実家を頼ったりして大学院にはそのまま進めました。

卒論が終わってから大学院まで割と時間があるので、それまでに何かさせておこうと誰かが思ったらしく、3月には NA44実験のキャリブレーションのプログラムを走らせる、ということをしてました。 すでにあるマクロを走らせて、その結果を見て変なところが無いかを確かめるというタスクです。 当時は、ワークステーションにつけるハードディスクですら4GB というのが研究室にあった最大のものでした。 実験の生データは、8mmのビデオテープをデータ記録用にしたエキサバイト・テープというものに保存してありました。 全ての生データをハードディスクに落とすとキャリブレーション出来ないということです。 それで、一つのラン分をダウンロードしては、キャリブレーション・プログラムを走らせ、それが終わると生データは消す、ということを繰り返してました。

2007/01/22 記


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Last-modified: 2009-04-18 (土) 06:10:42 (3782d)