* [[よしなしごと]] [#l11c9a5c]

** ポスドクに採用されるまで [#g481152f]

博士号を取ったのが1999年の3月でしたが、ちゃんとフルタイムのポスドクとして雇用されたのは10月でした。

博士号は「足の裏の米粒=取らないと気持ち悪いが、とっても食えない」と言われることもあります。
医師免許などの資格と違って、それを持って入ればすぐに職につけるわけではないからでしょう。
極一部の人は博士号を取る前にポスドク(さらに極々一部の人は任期なしの職)の内定がもらえていて、博士号所得と共に職につけたりしますが、僕はそうではありませんでした。

博士号を取るということは、博士課程(後期)を単位所得の上卒業するということですので、学生として大学院に所属しているということができなくなります。
「日本だと、ポジションに空きがあると次の職探しに影響が出るかもしれないから、
次のポストが見つかるまでは、研究生という立場でも所属があった方がよい」という人もいたので、卒業前に研究生の手続きをしていました。
ただ、研究生になるには、検定料、入学金、授業料といった物をあわせて十数万円大学に払う必要があります。

僕は大学院でやっていた研究が国際共同研究だったこともあって、日本のポストに執着する気がありませんでした。
少し考えてみると、肩書が切れるかどうかってのを気にするのは日本だけではないか、外国のポストに応募するときそんなことを取る側は気にするのだろうか、という疑問がわいてきました。
また、博士課程の後期では、日本育英会の奨学金(月10万8千円でした)だけで生活し、卒業後に備えてその一部は貯金していたのですが、その蓄えの中から十数万払うのは無駄に思えてきました。
締め切りが近付いたころには、研究生になる気がなくなり申請を取り下げました。

1990年代の終わりには、文部省がCOE事業を始めその資金によるポスドクの雇用や、科研費によるポスドクの雇用ができるようになりました。
それまでは、日本学術振興会(学振)の特別研究員が日本ではほぼ唯一のポスドクポジションで、僕は博士課程(後期)3年の時に申請した結果が、補欠合格(順位は確か十数番目)でした。
補欠合格になっている人は、合格者から辞退が出るか、補正予算などで学振の予算が増えその年度の採用枠が増えた場合に、採用されます。
その年度には、補正予算が組まれる気配もなく、こっちの方は運が良かった、という程度で全く期待していませんでした。

研究生になる気はなくなったのですが、研究室の教授と助教授の宮村さんと杉立さんにお願いし、肩書も所属のなくなるけどこれまで通り机やワークステーションなどを使わせてもらえるようにしてもらいました。
博士論文を通してもらう条件として、その内容を速やかにまとめて学術雑誌に投稿すること、というのがありましたので、そのための環境が必要ということだったと記憶しています。

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