大学院・研究者を目指す人へ

研究は雑巾がけから

と言っても、実際に雑巾がけをしろと言っている訳ではありません。

最近、院生の学生さんに研究に関することで「○○やってよ」と言ったときに、「何で僕がしなくちゃ行けないんですか?」と反論を受けることが多くなりました。 都合のよい手足にはならないぞ、という意思表明なのかもしれません。 あるいは、なんだかよく分からないことは納得しない限りやらないぞ、ということかもしれません。

彼らが気づいていないのは、どんな仕事・研究に関係することも最初は小さなことからしか任されないということです。 どんな能力を持っているか何が出来るか分からないうちから、重要なことをいきなり任せることはできません。 たとえつまらない簡単なことであっても、「やらない」という返事をする人にはそれ以上の重要なことを任せることはできません。 次には、じゃぁこれなら出来るかなと思うようなことを「やって」と頼みますが、決して前に拒否したことより高度のことを頼まれることはないでしょう。 自分が拒否したあとに他のことを頼まれているうちはまだいいと思って下さい。 もういいやとそれ以上何も頼まれなくなり、なにも身につかないことになります。 そして、いざ自分がなにかしたいと思ってもその方法もやり方も分からなくて途方に暮れるということに成りかねません。

西川きよしの言う「ちいさなことからコツコツと」が大切になります。 つまらないと思う雑用かもしれない「雑巾がけ」のようなことを、やれる人だけがその先の道を進むことができるのです。

積み上げでやっていればいろいろ任せてもらえ、またそれに伴う知識や能力も伸びたはずでも、最初が「いやです」で拒否する人は高見に達することが出来ないと思います。 最初は小さな差でも、それが一年二年経つうちに大きな差となります。 博士課程前期の大学院生が一年の最初と二年の終わりとでは、個人差が目に見えて明らかになります。

就職するにせよ後期に進学するにせよ博士課程前期の大学院生を、教員としては多かれ少なかれ研究者の卵として扱おうとします。 しかし、研究をするのに必要とされる能力は社会に出て働く能力と変わりません。 必要なのは、周りの人ときちんとコミュニケート出来て、自分が置かれている立場を理解し、その上で何が出来るか自分で考えて実行している能力です。

学部までなら、誰とも話をせず授業に出て話を聞いて教科書を読んで勉強するだけという生活をすることも出来ます。 しかし「研究室のメンバー」となったら、そうは行きません。 研究室というのは会社とは違いますが、複数の人々で構成される「社会」の一種です。

最後に注意して欲しいことが一つ。 研究に関することと本当の雑用との区別がつきにくいときがあります。 そんなときに、教員・先輩が単に都合のいい手足として使おうとしているのか、研究に関係し自分の経験に役に立つのかきちんと見極めて下さい。 何でもかんでも「いやです」という人も困るし、何でも「はいはい」と服従する人も困る。 当たり前の話ですが、極端ではなくバランスが大事です。


トップ   編集 凍結解除 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2009-10-27 (火) 22:55:40 (3589d)